宗教が取り沙汰されている。僧侶として勘違いして欲しくないのは、形ないものを敬い、神や仏に救いを求めるその心はこわいものでも怪しいものでも何でも無い。宗教が間違った方向にいくのは「宗教“団体”」になった時。その組織の運営方法に問題がある場合です。その背景には必ず人間の「欲」がある。
教義を信奉し、信仰からくる感動を多くの人と分かち合いたいのは人情です。ただそうした心の動きを教団内部の悪い奴らは利用する。内部に囲われた途端、ポスト争いや、教祖による独裁政権などが牙を向き骨の髄まで利用されます。
教団の運営方法には明確に良い悪いがある。客観的に判断できる。手前味噌のようですが、その点、仏教僧団はその成立の過程でお釈迦様が細分化された「律」という教団運営の規範を明確にお示しくださった。2500年経った今でも仏教という教えが残っているのは、当時の健全な組織運営があったからこそです。
結局「お釈迦さま…すげぇ…」
妙見山上原寺副住職 仁部前誠
宗教が取り沙汰されている。僧侶として勘違いして欲しくないのは、形ないものを敬い、神や仏に救いを求めるその心はこわいものでも怪しいものでも何でも無い。宗教が間違った方向にいくのは「宗教“団体”」になった時。その組織の運営方法に問題がある場合です。その背景には必ず人間の「欲」がある。
— 仁部前誠 (@nibe_zenjo) July 11, 2022