日本に帰る飛行機で、マスコミから「陛下に会いますか?」
「お断り致します」
報道では陛下に 恨みがあるから
会いたくない事に…
事実は、
「私がお会いしたならお疲れ様と陛下が 頭を下げる事があってはならないとの気持ち からの発言」
小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)3月19日 – 平成26年(2014年)1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。
情報将校として大東亜戦争に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、第二次世界大戦終結から29年の時を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還を果たした。
帰国の際に「天皇陛下万歳」を叫んだ事や、現地軍との銃撃戦によって、多数の軍人や住民が死傷した出来事が明らかになった事(フィリピン政府当局の政治判断により、小野田への訴追は行われなかった)、また本当に日本の敗戦を知らなかったのか、という疑問が高まるに連れて、マスコミからは「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」といった批判も受けた。
小野田に対し、日本国政府は見舞金として100万円を贈呈するが、小野田は拒否する。拒否するも見舞金を渡されたので、小野田は見舞金と方々から寄せられた義援金の全てを、靖国神社に寄付している。昭和天皇との謁見も断り(万が一、天皇が謝罪するようなことを避けるため)、小野田は戦闘で亡くなった島田と小塚の墓を墓参している。
【武士道の日本兵・小野田寛郎】
日本に帰る飛行機で、マスコミから「陛下に会いますか?」
「お断り致します」
報道では陛下に 恨みがあるから
会いたくない事に…事実は、
「私がお会いしたならお疲れ様と陛下が 頭を下げる事があってはならないとの気持ち からの発言」(今も昔も 虚偽報道) pic.twitter.com/D2vTR1T4ax
— あっきー (@wB1HqwmdlNOHH3x) 2018年5月15日